2011年の5月3日から5日の3日間は、自転車で横浜から大阪へ行って来ました。
三連休の内。最初の2日間は、自転車でひたすら大阪を目指し、最後の1日は大阪観光の後、輪行をして横浜までもどって来ました。
ここでは、自転車で横浜から大阪へ行った事をメインに書きます。

36時間で、大体これだけ走りました。
今回のたびに持って行った装備は、今までの自分の旅の中では比較的軽装で、自転車にはサドルバッグしか取り付けず、着替えは一切持たず、衣類関係はタオルにレスキュシートのみでした。

自転車の整備工具に関しては、トピークのタイヤレバーとチェーンカッターの付いた携帯工具に、ニップル回しのみで、パンク対策も、ロード初のクリンチャーホイールを今回の旅では使用したため、チューブラータイヤのようなかさばる予備タイヤとリムテープを持つ必要がなくなり、チューブを2本をコンパクトにまとめたもので済みました。
しかし、補給食に関しては、なるべくコンビニに寄らずに行こうと思ったので、スニッカーズ2本にカロリーメイト4本に、アミノバイタルプロの粉末を5本に、ヴァームパウダーも5本持って行きました。
アミノバイタルプロとヴァームは、風来のシレンでいう所の『力の草』とでも思ってください。
また、電子機器関係としては、エネループの単三を4本に、単三エネループに対応したエネループモバイルチャージと、充電用のUSBケーブルに、ミュージックプレイヤーZENに、秋葉原買った充電池内臓のニミスピーカーをジップロックに入れて持って行きました。
自分自身の装備は、インナーにヒートテックの長袖とタイツを着て、その上に半袖ジャージにレーパンを着た装備でした。
追加装備で、浜松から名古屋を通過するに当たり、雨に見舞われた時は、流石に寒かったので、浜松にしか存在しないドラッグストアー杏林堂(キョウリンドウと読みます、決してあんりんどうではありません)でカッパを買って雨風の寒さをしのぎました。
装備についてはこの辺にして、そろそろ出発としましょう。
5月3日の朝4自半に目覚まし時計が、甲高い声を上げたので、目を覚ましました。
しかし、目覚ましが鳴ったタイミングの時の自分はレム睡眠中だったためか寝起きがひどく良く無かったので、我に返るのにかなり時間がかかりました。
やっとこさ、一時間後にすべての準備が整い、朝五時半に社員寮を出る事ができました。
この日の朝は、5月の初めだというのに、やたら日が登るのが早いなと思いました。お陰でライトの電池を無駄遣いしないで済みました。
出発して2時間後に国道1号線にぶつかり、その後はひたすら箱根を第一目標に走りました。

気温もそんなに暑く無かったため、コンビニ休憩は箱根よりちょっと手前のローソンのみでした。
熱海方面に抜けて行くロード乗りを横目に、箱根の手前まで来ると、GWの影響なのかやたら車がごった返しており箱根手前の国道一号線は渋滞に近い状態でした。
この時、他のロード乗り達が、なぜ熱海へ抜けて行ったのかがわかりました。
彼らは決して、箱根を登る脚力が無いわけでは無く、箱根周辺の国道一号が混む事を知っていたからだったのだ。
しかし、俺は今更引き返せるかと言わんばかりに、箱根の峠道の登坂を始めました。
箱根自体は初めてでは無いので、足をつかない事を目標に、自分のペースで登っていたが、やはり車が多く、温泉街までは排気ガス臭い中をひたすら登って居たため本当につまらない山道だと感じました。
温泉街を抜けると、車の通りも減り、排気ガスの匂いもしなくなり、やっと峠道を走っているなと思える様になりました。
38×25のギア比で走っていたのと、去年の走行経験が生きたのか、あまり体力を消耗せずに、箱根は制覇で出来たと思う。
そして、東海道最高地点。

ここで、自分と同じく写真を撮っているチャリダーも人がいたので互いに自分の写っている写真を撮り合いました。
彼は箱根制覇と東海道線の景色を見る為に、新潟から小田原まで輪行して箱根の頂上に来たそうだ。確か、40後半と言ってたが、青春に期間なんか無いんだなと思った。スバラシイ!!
芦ノ湖では、箱根ヒルクライムの疲労もすくなかったので、ブログを更新しつつ補給を少し取った程度で、直ぐに出発しました。
箱根峠の通過は、下り坂を残すのみなので、車やバイクを煽ったりしながら、下りを大いに楽しみつつ、静岡県に突入。

静岡県内の国道一号線は、殆んどがバイパスなので、自転車の俺は県道を走ってにしをめざしました。
途中の旧東海道内の千本街道。

千本街道は基本的に防砂林をひたすら進みます。
去年は要石神社に寄ったりしたけど、キャノンボールではあまり寄り道しない物と決めつけていたので、殆んどどこも寄らずに、三島、富士は通過しました。
途中、桜海老の看板を見てしまい、お昼頃という事もあり、腹が減って来たので、桜海老の入ったそばを食べて補給しました。

確か、280円と大変リーズナブルな値段だった思います。味も美味かった。
清水駅に到着。

清水市内で、信号待ちしていると、湘南と書かれたTシャツを着たMTBに乗っているおっさんに話し掛けられた。
彼は湘南から、富士まで輪行して、東海道の宿場町を見にくそうだ。けど疲れてしまったので、今日は清水周辺のホテルに泊まる所だそうだ。特に計画は無いらしい。
自分も、横浜から大阪へ行く途中と告げると「いや~、にいちゃん変わってるね~」と予想通り驚いてくれて嬉しかった。
しかし、計画無く輪行して、旅に出ているアンタも相当変わりもんだと思うのだが…
でも俺は、そんなおっさん嫌いじゃ無いぜ!!
静岡市に入り、ガンダムの跡地である、東静岡駅前に到着。

ガンダムの跡地というか更地。
東静岡駅自体は立派な駅であるにもかかわらず、周りが更地になっているあたり、開発途中なんだろうな。
静岡駅も通過し、補給でサークルKに立ち寄り、富士山ソーダで水分と糖分を補給。

補給していると、地元のおじさんに、声をかけられたので、少し立ち話をして、最後に激励を受けサークルkを後にしました。
JKの想いが詰まったパン(静岡限定)…だと!?

静岡市を抜け、国道一号線は藤枝バイパス(自転車通行禁止)に合流したので、自分は旧東海道の県道を使い、浜松を目指しました。
道中にやたらでかい松の木があったので一枚。

松の木の近くに、立札があったので読んでみた。

どうやら、江戸時代から生えているらしく、参勤交代の大名行列から、旧東海道を駆け抜けていったさまざまなものを見続けてきたらしい。
俺も、この松に「コイツ、ロードに乗ってるくせに遅すぎだろ」とか見られてんのかな?
その後、信号に止められてしまい、停車するもののビンディングがうまく外れず、ディレイラー側に立ちゴケしてしまいました。
転けた体勢のままビンディングを外し、歩道に避難して、変速を確認すると異常が無かったので、そのまま走り出しましたが、体は痛いし、心は若干ブルーになってしまいました。
そんな気持ちのまま、走っていると、江戸時代の匂い漂わせる建物があり、その建物の入り口には虚無僧が立っていました。
少し気になったので、虚無僧の方に「ここはどういった建物なのですか?」と尋ねると、建物の中から別の方が出て来て、旧東海道の宿場跡である事を教えてくれました。
虚無僧という格好も珍しいが、自分のサイクルジャージにもっこり気味のレーサーパンツ姿もまた珍しいのか、どこから来たのか逆に尋ねられました。自分は自信げに「横浜から来ました!!(キリッ」と答えると、宿場跡にいる方全員でベタ褒めしてくれました、しかも中の広間にもいれていただき、新茶をご馳走になりました。
そして、記念撮影。

柏屋の中には、蔵が入っており当時のままだそうだ。

あと、お手玉なんかもあって、幼児や幼女が遊んでいました。

旅路にお手玉、なんだか某泣きゲー思い浮かべてしまった。
竹で出来たけんだま。

写真の通り、出っ張りのある竹筒の出っ張りに、糸のついた竹筒をうまくはめ込むものである。
自分は全然うまくいかなかった。
お茶をご馳走になり、昔のおもちゃと触れ合うことで、水分と元気が回復し、柏屋の人々に見送られれ、勇ましく柏屋を後にする事が出来ました。
その調子で走行していたら、去年の夏の走行では夜に到着していた島田市には、5時過ぎには通過出来ました。

掛川市前の坂道の途中の茶畑。

いかにも静岡県にやって来た感じのする風景だが、この時点での視点を180度振り返るとラブホがあったりします。
途中のシンドラーエレベーター

藤枝から袋井の区間の国道一号は、全てが自転車通行禁止のバイパスでしたが、浜松市にはいると自転車で国道一号はを走る事が出来るようになります。
という事で、浮かれて走っていたのだが、この時すでに夜の8時であり、トラックもかなりの数が走っていました。
しかも、3車線で1車線も広く作られているにもかかわらず、幅寄せしてくるトラックが何台かいた。
頭に来たのでで、思わず
「殺す気かよ、バカヤロー!!」と叫びながら、トラックの荷台にグーパンしてしまいました。
手ぇ痛えな~と思っていると、そのトラックが減速したので、思わず抜かすと、後ろにピッタリくっつかれてクラクションを鳴らされまくり、抜いて行く間際には思いっきり幅寄せして来た。
俺は、「俺を引き殺そうとでも言うのか?出来るわけねーだろ」と思って中指を立てていると、更に幅寄せして来たので、粋がっている余裕も無くなり、「やべえ、殺される…」と本当に死を覚悟した瞬間だった。
最終的には、俺がブレーキ掛けてスピード落としてやり過ごして、トラックはそのまま走り去って行ってしまった。
その走り去って行ったトラックに「戻って降りて来いや!!クソタッレーーーー!!」と再び中指を立てて叫んだが、虚しくも浜松のバイパスを走るほかの車の喧騒に呑み込まれてしまった。
粋がっていたものの、精神的ダメージを受け、かつ疲れたので、ダイドーの自販機の前で小休止しました。
自販機にはドラゴンボールのキャラクターがランダムに出るカンがあったので買って見ると、まるで自分の気持ちを代弁するかのようにこいつがでた。
「クソッタレーーーーー!!」が口癖の某王子(笑)
俺も思わず笑っちまったし、なんとなく元気が出て来た。
冷静になり、ツーリングマップルでバイパス以外の道は無いかと探すと、旧東海道である県道があったので、すぐさまそこにルートを移しました。
その県道は、一部通学路にもなっており、車も地元の人が運転しているので、自転車を抜かす時も結構多め間隔を取ってくれた。
信号の数もバイパスと変わらないし、途中のコンビニもかなりあると言う事で、自転車で浜松を突破する時は、旧東海道を通った方がいいと思う。
しかし、途中で雨が降ってしまい、浜松市内に展開されている、杏林堂という薬局で200円のカッパを買い、三重県に入るまで着続けていました。
そんな雨の中22時ちょっと前に、弁天橋に到着。

こんな時間だったので、うなぎの食べられる店はどこも閉まっていた…
静岡と愛知の境には、地味に上り坂があったが、以外と難なく超えてしまい、愛知県に突入。

とりあえず、今回はここまで。
- 2011/07/18(月) 12:34:35|
- 2011.GW_東海道走行記(横浜→大阪)
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今日は、午前13時頃から、17時頃まで職場で仕事を片付けていました。
学校かよいながらだと、こうしないと仕事が終わらないんよ…
で、17時過ぎは、秋葉原やワイズロード上野店で物色をしていました。
そして、ワイズでデルタクリート(黒)があったので、思わず買ってしまいました。

ルック社のクリートはグレー、赤、黒があり、前者に行くほどペダルとシューズを嵌めた時の遊びがあります、自分は先週は赤を使っていたのだが、嵌めた時の遊びが好きでは無いので、遊びの全く無い黒クリートを探していたのだ。
クリートが手に入り、ホクホクしながら秋葉原で漫画を買いまくりました。

って、買った漫画の半分が自転車関係のものじゃねーか。
あと、某ブログでオススメされていた『本当にあった!霊媒先生』も買ってみました。
帰りの電車の中で読んだが、二ヤケまくっちまったぜ…
最近のネットスラング的なネタもあるが、懐かしいノリの漫画だった。
これは家族(特に母)でハマりそうだな、今度の帰省時に持っていこうかな。
テスト前になにやってんだ、俺は…
- 2011/07/17(日) 22:49:32|
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今日はヤビツ峠に行って来ました。
自宅からヤビツ峠へ行くには、国道246号を走っていくのだが、途中でチルノの書かれたジャージを着た青年やカーボンロードに乗ったロード乗りが付いてきていたので、ヤビツ峠を目指しているのか聞いてみると、彼らもヤビツ峠を目指しているそうだ。
しかし、平地巡航を35~40km/hで走っていたら、途中でいなくなっていました。
そして、ヤビツ峠の入り口に着きました。

ここから地獄の始まりだ…
ヤビツ峠に本格的に入る前に、かなり勾配のある道を走り、俗に言う『鳥居』まで来ました。
この時点で、大して補給や休憩を取っていなかった俺の頭はオーバーヒート寸前で、クラクラしていました。

頭がくらくらする中、自転車をこいでいると、自販機のある売店に着きました。
ここでは、水道水を頭からかぶったり、水分補給をして休憩しました。

水分補給しようにも、自販機の水やスポーツドリンクは全部売り切れていたので、三ツ矢サイダーで補給しました。
後で聞いた話だが、頭が熱を持ったりしたら、熱中症の始まりらしいね。
今まで我慢してきたけど、いきなり倒れたらおっかないので、こまめに休憩を取るべきだと思った。
頭も冷えて、売店から出発し、峠道に入った。
ここから、約12kmひたすら登りつづけます。

最初は、2ヶ月前に一度挑戦していたので大した事ないと思っていたが、やっぱりキツイ…
おまけに、頭が熱を持ち始める…でもって、クラクラする。
今回は、『しろくまのきもち』の恩恵をあまり家なかったな。
途中にこんな感じの、木陰のある部分もあり、こういうところは涼しいので本当にありがたい。

頭に熱を持ちながら、無理やり登っていき何とかヤビツ峠の頂上にたどり着きました。

付いてすぐに、トイレの洗面場の水道で頭を冷やしました。
ついでに、『しろくまのきもち』にも水をたっぷり含ませました。
ヤビツ峠には、ちょっとした売店や自販機があるので、水分補給のために行ってみました。

ヤビツ峠頂上の自販機

ちょっと高い…
でも買ってしまった…
ヤビツ峠の頂上は、ロード乗りであふれていて、休憩がてらにロード乗り同士で色々ろ話し込んでいたりしました。
自分は、そんな余裕がなかったので、木陰のベンチで休んでいると、どう観ても20インチホイールを履かせていて、とんでもなく手を加えられたBD-1がやって来ました。

メインコンポは78デュラエース+XTRでした。すげえな…
俺は、インターネット上でしか観たこのないような、とても手を加えられているBD-1をみて、思わず話しかけていました。
BD-1に乗っている人も、自ら手を加えられているだけあって、結構熱く語ってくれました。
しかも、50は超えているはずなのに、輪行しながら日本中を旅しているらしい。かっこよすぎるぜ!!
そんな感じで、旅や自転車の改造に付いて話していると、道中で会ったチルノジャージを着た人が到着しました。
意外な再開に、またしても思わず声をかけてしまった。
すると彼は、「246号にいた、めちゃ速いランドナー人ですか?」聞いてきました。
とりあえず、はいと答えました。俺の自転車は一応、20年前のツールドフランスで走っていも、おかしくないような自転車なんだけどな~。
そんな彼の自転車は、なんと!!
カーボンフレームに、メインコンポはスラムのレッドを搭載した、ハイスペックロードレーサーだったのだ!!

車重は、6.9kgという、UCIの規定ギリギリの軽さらしい。
しかも、彼の連れも何人かいたが、その連れも同じようなハイスペックロードレーサーに乗っていた!!
みんな、金持ってんな~
で、チルノのジャージを着ているだけあって、アッチの話や、自転車の話を1時間以上していました。
夏コミでも、サークル参加しているらしい…
俺は、12時を回ったので、帰宅するためにその場を後にしました。
自転車にとって下りは、楽以外の何者でもなく、余裕があったので途中で見晴らしのいいところに出るたびに写真を撮っていました。

あと、途中の展望台からの神奈川県秦野市の様子。

展望台までは、BD-1乗りの人と一緒に来ていて、秦野市も住宅や工場だらけになってしまった事について色々話してくれた。
昔は、一面畑だったそうだ。この辺だったら小田急で東京まで行けちゃうから、住宅街になっちゃたんだろう。
途中で、BD-1の人と別れて、自分は246号を走って、再び熱中症に悩まされながら帰宅しました。
今回も、いろんな人に出会えたし、少し神奈川の歴史も感じられたということで、実に休日らしい過し方が出来たと思う!!
熱中症対策を万全にして、また行きたいな~
- 2011/07/10(日) 21:58:22|
- 自転車で遠足
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昨日は24時前に帰宅し、とあるブログの絵チャットに参加し、パチュリーを落書きしたり、色々駄弁ったりして夜更かししました。
インターネットを使えば日本全国の人々とコミュニケーションが取れると言うことを改めて実感しました。かがくのちからってすげー!
あと、ログはキャプったが紳士過ぎるので、載せられないZE☆
皆さん、お疲れっした!!
で、今日は思いっきり寝坊してしまい、OOO見逃しちゃいました…
何で録画予約しなかったんだろう…あたしって、ほんとバカ。
午後からは秋葉原へ行き、昨日買いそびれたヘッドホンアンプの部品を買いに行ったり、DDR2のメモリーの査定が終わっていたので、お金を受け取って来ました。
DDR2のメモリー2G×2で3000円でした、DDR3が主流の今ではそんなもんか…
で、そのお金はメロンで全部使ってしまいましたw

久々に同人誌を買ってしまった。
そして盛大に吹いてしまったw杏子が役に会いすぎてツボった。
- 2011/07/03(日) 21:12:55|
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