今更だけど、2011年の5月にやらかした、
東海道を自転車で走行した記事の「その2」です。

青線がこの記事で走行した箇所になります。
愛知県へ突入と同時に、国道1号線に合流したので、浜松バイパスなりのトラック地獄が待っているとおもいきや、トラックはおろか車の通りが非常に少なくなっていた。
多分、国道23号線に流れているのだろう。

また、トラックもたまに通るのだが、片側2車線という愛知県の郊外であるにもかかわらず、高企画な道路である事生かして、車線変更して追い越してくれるトラックがほとんどで、交通環境自体では苦もなく愛知県を通過出来たと思う。
しかし、一晩かけて愛知県を通過するに当たり、2点の難関が待ち構えていた。
一つは、霧雨による寒さだ。
霧雨自体は浜松の旧東海道の通過時から降っていたが、23時以降になると気温がガクッと下がり、走行中は身体を動かしているので体温は保たれた状態であるのだが、コンビニや自販機での補給で足を止めると一気に体温が下がって行き、また走り出すと風を受けるので、さらに体温を奪われる結果となった。
なので、なるべく休憩や補給は取らないという作戦に出たのだ。
しかしそれにより、2つ目の難関が出てくる。
その2つ目のとは、眠気である。
もう深夜という事もあり、しかも今まで自転車を漕ぎつつけた身体は休息を求め睡眠欲を爆発させて来た。
それにより、信号待ちで立ちながら青信号を待っているのにも関わらず、うとうとしてしまい下手をすれば立ったまま寝てしまいかねない様な状態だった。
また、仮眠を取るにしても、どこでどうやって寝ればいいのか?ホッカイロも無いのにどうやって体温を温存すればいいのか分からなかった。
なので、必要最低限の補給でコーヒーやレッドブルでドーピングして無理矢理走り続けて、愛知県を突破するという暴挙に出たのだ。
補給時によったコンビニで、ホッカイロも探したのだが、5月という微妙な時期のためどこもおいていなかった…
そんな風に走っていたら速く走れるはずも無く、一号線をペースは落ちながら北上して行き、なんとか夜明け前には愛知県を通過しました。

三重県に入りった当たりで、雨も止み、日が登ってきたので、体温も回復して、動き辛いカッパも脱ぐ事ができました。
東京から400km、横浜からは380km位走ってきたことになる。ここまで来たのか・・・

桑名・四日市市内も早朝という事もあり、車はほとんど通っておらず、スイスイと通過して鈴鹿まで行く事が出来ました。

なんとか鈴鹿まで来た安堵から、コンビニでの補給後、駐車場であぐらをかいたまま20分くらい寝てしまいました。
ラックの運ちゃんや、家族連れからは奇妙な眼差しを注がれたんだろうな~
寝ている時一緒にいた猫。

身体が痒いのか、やたら身体を擦り付けて来た。
補給と仮眠で若干回復した身体に鞭打って、亀山バイパスを走ったが、巡行30km/hも出ず、車に煽られまくって悔しかったので、アップダウンの激しいバイパスの側道をまったり走りました。この時点でのどが痛み始め水分の補給不足だと思っていました。
亀山バイパスを抜けて、鈴鹿峠直前の亀山地ビール工場兼コンビニがあったので、そこで休憩しました。

地ビール工場の食堂でキツネそばを食べ、水をがぶ飲みしました。しかし、のどの痛みは治りませんでした。
これから鈴鹿峠を超えるというのに、足に力が入りにくくなり、かつのどが痛い状態と言うのはマズイのではないだろうかと思い、コンビニの裏手で大の字になって30分ほど仮眠を取りました。
起きると、喉がひどく乾き、喉の痛みも悪化していました。
あと、コンビニに荷物を搬入にきたオバちゃんに
「アンタ大丈夫かい?!死んでるのかと思ってびっくりしちゃったよ。」と起きるなり声をかけられました。
自分は「大阪を目指してて、仮眠をとっていたんすよ」と説明すると、夕べは何処かに泊まっていたのだと思われていたらしく「自宅以外だと眠れないタイプなのかい?」と聞かれたので、「いえ、昨日の朝に横浜を出発して、ほとんど寝る事なくここまで来て、鈴鹿峠を前に休憩して今に至ります。」と答えると、半分疑いの眼差しを向けつつも驚いて「若いね~、兎に角頑張ってね!!」と励ましてくれました。
足こそ痛まないものの、疲労が溜まった身体で鈴鹿峠へ到着。
うなぎの初音が峠に入った印だ。
鈴鹿峠自体は車の通りも少なかったので、思う存分フラフラしながら峠を超える事ができました。
そして滋賀県突入!!

滋賀県に突入後は、鈴鹿峠をひたすら下り、2年前に野宿をした道の駅に到着。

ここで、アイスを食べたり、コーラ(もちろんカロリーオフではないやつ)を飲んだりして休憩しました。
確か道の駅の向かいにファミマがあった筈だが、潰れてなくなっていました…
2年前は、この位置にファミマがなけれな凍死していたかもしれないと言うのに。
ある程度休憩をとった筈なのに、相変わらず足に力が入らず、巡行20km/h前後で京都を目指しました。
大津付近で、クロスバイクに抜かれた時には、ぐうの音も出なかった。
途中の日清の工場

フリーダム!!明日をつかめ。
そして、滋賀県大津市と京都府の境にある檄坂をなんとか超えて、京都に突入しました。

京都の独特な街並みをみていたら、ちょっと疲れがぶっ飛びました。
京都と言ったら、某軽音楽アニメの舞台と言う事で、聖地巡礼をしようと思ったが、ゴールである大阪での宿の確保を優先させてしまい、探したホテルでも「6時には着きます!」と言ってしまったので、鴨川を渡り一号線に合流して大阪をを目指しました。

京都から大阪へ向かう道はバイパスになっていたが、関東並みに車でごった返していて、始めてくる土地の道であるにもかかわらず、一切の新鮮味がありませんでした。
けど、コンビニで休憩すると、店員の兄ちゃんが関西弁の訛りで接客していて、何となく大阪に来たんだと実感出来ました。
大阪府に突入して、街中を走ると、はじめに目に飛び込んで来たのは、歩行者飛出し注意のLED板が所々に設置している街並みでした。
確かに、信号の所在も、色も関係なく道路を横断している人をかなり見かけました。
東京もこう言う人がいるなか偏見かも知れないが、大阪はそれよりも多いように見受けられました。
そんな感じで大阪の雰囲気を堪能しながら、とうとう国道2号線の始まりであり、国道一号線の終点へ到着しました。

しかし、国道位一号線の終点なのに、それを伝える旨の特別な標識が無くてちょっとがっかりしました…
ここが今回の旅の終着地点であるにも関わらず、達成感よりの空腹感と疲労感の方が大きかったので、その後はたんたんと予約をとっているホテルへ向かいました。
ホテルに着いて、チェックインした私は、明日も含めて、大阪観光するのにサイクルジャージにレーパン姿は恥ずかしかったので、
ホテルの人に「この辺りに、ユニクロか無印かGAPかH&Mみたいな価格帯の服屋さんってありますか?」と聞いて、近くに京急マートがあり、その中にユニクロがあることを教えてくれました。
早速、荷物(と言ってもリヤコンテナのみだが…)をパージして部屋に置き、京急マートへ行きポロシャツとハーフパンツとトランクスとサンダルを買って来ました。京急マート内は床がツルツルしていて、ビンディングシューズでは歩き辛かった。
ホテルのシャワーを浴びて、ユニクロで買って来た服を装備して、夕ご飯を食べに京橋駅をぶらついていました。
流石に5月なだけあって、ポロシャツにハーフパンツはちょっと寒かったですが、空腹の方がその時の自分には応えました。
何か大阪らしいものを…と一心に探しましたが、結局それらしいお店は見当たらず、松屋で牛丼を食べました。
しかし、まだお腹が満たされず、更にはお酒が飲みたくなってきたので、ハイネケンの看板のある謎のバーへ入って見ました。
中はかなりおしゃれで、「これ、一人で入っちゃって大丈夫か?」と一瞬ためらってしまいましたが、入ってしまったものはしょうがないので、メニューを見ながら「一番ボリュームのあるものを頼む!!」というと、全卵のカルボナーラは一番ボリュームがあるらしいのでそれにしました。
カルボナーラを待っていると、突然そこの常連らしき人に「どう見ても夏の格好やないか(笑)」と声をかけられました。
それを皮切りに、自転車で横浜から大阪へきたことを話すと「お前、アホか。けど、おもろいわ~」と以下にも関西人らしいしゃべり方で評価して頂きました。
それから、大阪名物や震災当日の大阪の様子や天下一品の焼豚の話しで盛り上がりました。
そうこうしているうちに、12時を回っていたので、ホテルに戻り床につきました。
やはり、約36時間もの間自転車で移動していただけあって、ベッドに後頭部を沈めた瞬間、意識を失いました。
この旅(というかキャノンボール)での走行距離:533.39km
アベレージも表示させて置けばよかった・・・

これにて、東海道走行記を終わらせたいと思います。
書くのにどんだけ時間使ってんだよ・・・
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- 2012/04/01(日) 23:05:52|
- 2011.GW_東海道走行記(横浜→大阪)
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2011年の5月3日から5日の3日間は、自転車で横浜から大阪へ行って来ました。
三連休の内。最初の2日間は、自転車でひたすら大阪を目指し、最後の1日は大阪観光の後、輪行をして横浜までもどって来ました。
ここでは、自転車で横浜から大阪へ行った事をメインに書きます。

36時間で、大体これだけ走りました。
今回のたびに持って行った装備は、今までの自分の旅の中では比較的軽装で、自転車にはサドルバッグしか取り付けず、着替えは一切持たず、衣類関係はタオルにレスキュシートのみでした。

自転車の整備工具に関しては、トピークのタイヤレバーとチェーンカッターの付いた携帯工具に、ニップル回しのみで、パンク対策も、ロード初のクリンチャーホイールを今回の旅では使用したため、チューブラータイヤのようなかさばる予備タイヤとリムテープを持つ必要がなくなり、チューブを2本をコンパクトにまとめたもので済みました。
しかし、補給食に関しては、なるべくコンビニに寄らずに行こうと思ったので、スニッカーズ2本にカロリーメイト4本に、アミノバイタルプロの粉末を5本に、ヴァームパウダーも5本持って行きました。
アミノバイタルプロとヴァームは、風来のシレンでいう所の『力の草』とでも思ってください。
また、電子機器関係としては、エネループの単三を4本に、単三エネループに対応したエネループモバイルチャージと、充電用のUSBケーブルに、ミュージックプレイヤーZENに、秋葉原買った充電池内臓のニミスピーカーをジップロックに入れて持って行きました。
自分自身の装備は、インナーにヒートテックの長袖とタイツを着て、その上に半袖ジャージにレーパンを着た装備でした。
追加装備で、浜松から名古屋を通過するに当たり、雨に見舞われた時は、流石に寒かったので、浜松にしか存在しないドラッグストアー杏林堂(キョウリンドウと読みます、決してあんりんどうではありません)でカッパを買って雨風の寒さをしのぎました。
装備についてはこの辺にして、そろそろ出発としましょう。
5月3日の朝4自半に目覚まし時計が、甲高い声を上げたので、目を覚ましました。
しかし、目覚ましが鳴ったタイミングの時の自分はレム睡眠中だったためか寝起きがひどく良く無かったので、我に返るのにかなり時間がかかりました。
やっとこさ、一時間後にすべての準備が整い、朝五時半に社員寮を出る事ができました。
この日の朝は、5月の初めだというのに、やたら日が登るのが早いなと思いました。お陰でライトの電池を無駄遣いしないで済みました。
出発して2時間後に国道1号線にぶつかり、その後はひたすら箱根を第一目標に走りました。

気温もそんなに暑く無かったため、コンビニ休憩は箱根よりちょっと手前のローソンのみでした。
熱海方面に抜けて行くロード乗りを横目に、箱根の手前まで来ると、GWの影響なのかやたら車がごった返しており箱根手前の国道一号線は渋滞に近い状態でした。
この時、他のロード乗り達が、なぜ熱海へ抜けて行ったのかがわかりました。
彼らは決して、箱根を登る脚力が無いわけでは無く、箱根周辺の国道一号が混む事を知っていたからだったのだ。
しかし、俺は今更引き返せるかと言わんばかりに、箱根の峠道の登坂を始めました。
箱根自体は初めてでは無いので、足をつかない事を目標に、自分のペースで登っていたが、やはり車が多く、温泉街までは排気ガス臭い中をひたすら登って居たため本当につまらない山道だと感じました。
温泉街を抜けると、車の通りも減り、排気ガスの匂いもしなくなり、やっと峠道を走っているなと思える様になりました。
38×25のギア比で走っていたのと、去年の走行経験が生きたのか、あまり体力を消耗せずに、箱根は制覇で出来たと思う。
そして、東海道最高地点。

ここで、自分と同じく写真を撮っているチャリダーも人がいたので互いに自分の写っている写真を撮り合いました。
彼は箱根制覇と東海道線の景色を見る為に、新潟から小田原まで輪行して箱根の頂上に来たそうだ。確か、40後半と言ってたが、青春に期間なんか無いんだなと思った。スバラシイ!!
芦ノ湖では、箱根ヒルクライムの疲労もすくなかったので、ブログを更新しつつ補給を少し取った程度で、直ぐに出発しました。
箱根峠の通過は、下り坂を残すのみなので、車やバイクを煽ったりしながら、下りを大いに楽しみつつ、静岡県に突入。

静岡県内の国道一号線は、殆んどがバイパスなので、自転車の俺は県道を走ってにしをめざしました。
途中の旧東海道内の千本街道。

千本街道は基本的に防砂林をひたすら進みます。
去年は要石神社に寄ったりしたけど、キャノンボールではあまり寄り道しない物と決めつけていたので、殆んどどこも寄らずに、三島、富士は通過しました。
途中、桜海老の看板を見てしまい、お昼頃という事もあり、腹が減って来たので、桜海老の入ったそばを食べて補給しました。

確か、280円と大変リーズナブルな値段だった思います。味も美味かった。
清水駅に到着。

清水市内で、信号待ちしていると、湘南と書かれたTシャツを着たMTBに乗っているおっさんに話し掛けられた。
彼は湘南から、富士まで輪行して、東海道の宿場町を見にくそうだ。けど疲れてしまったので、今日は清水周辺のホテルに泊まる所だそうだ。特に計画は無いらしい。
自分も、横浜から大阪へ行く途中と告げると「いや~、にいちゃん変わってるね~」と予想通り驚いてくれて嬉しかった。
しかし、計画無く輪行して、旅に出ているアンタも相当変わりもんだと思うのだが…
でも俺は、そんなおっさん嫌いじゃ無いぜ!!
静岡市に入り、ガンダムの跡地である、東静岡駅前に到着。

ガンダムの跡地というか更地。
東静岡駅自体は立派な駅であるにもかかわらず、周りが更地になっているあたり、開発途中なんだろうな。
静岡駅も通過し、補給でサークルKに立ち寄り、富士山ソーダで水分と糖分を補給。

補給していると、地元のおじさんに、声をかけられたので、少し立ち話をして、最後に激励を受けサークルkを後にしました。
JKの想いが詰まったパン(静岡限定)…だと!?

静岡市を抜け、国道一号線は藤枝バイパス(自転車通行禁止)に合流したので、自分は旧東海道の県道を使い、浜松を目指しました。
道中にやたらでかい松の木があったので一枚。

松の木の近くに、立札があったので読んでみた。

どうやら、江戸時代から生えているらしく、参勤交代の大名行列から、旧東海道を駆け抜けていったさまざまなものを見続けてきたらしい。
俺も、この松に「コイツ、ロードに乗ってるくせに遅すぎだろ」とか見られてんのかな?
その後、信号に止められてしまい、停車するもののビンディングがうまく外れず、ディレイラー側に立ちゴケしてしまいました。
転けた体勢のままビンディングを外し、歩道に避難して、変速を確認すると異常が無かったので、そのまま走り出しましたが、体は痛いし、心は若干ブルーになってしまいました。
そんな気持ちのまま、走っていると、江戸時代の匂い漂わせる建物があり、その建物の入り口には虚無僧が立っていました。
少し気になったので、虚無僧の方に「ここはどういった建物なのですか?」と尋ねると、建物の中から別の方が出て来て、旧東海道の宿場跡である事を教えてくれました。
虚無僧という格好も珍しいが、自分のサイクルジャージにもっこり気味のレーサーパンツ姿もまた珍しいのか、どこから来たのか逆に尋ねられました。自分は自信げに「横浜から来ました!!(キリッ」と答えると、宿場跡にいる方全員でベタ褒めしてくれました、しかも中の広間にもいれていただき、新茶をご馳走になりました。
そして、記念撮影。

柏屋の中には、蔵が入っており当時のままだそうだ。

あと、お手玉なんかもあって、幼児や幼女が遊んでいました。

旅路にお手玉、なんだか某泣きゲー思い浮かべてしまった。
竹で出来たけんだま。

写真の通り、出っ張りのある竹筒の出っ張りに、糸のついた竹筒をうまくはめ込むものである。
自分は全然うまくいかなかった。
お茶をご馳走になり、昔のおもちゃと触れ合うことで、水分と元気が回復し、柏屋の人々に見送られれ、勇ましく柏屋を後にする事が出来ました。
その調子で走行していたら、去年の夏の走行では夜に到着していた島田市には、5時過ぎには通過出来ました。

掛川市前の坂道の途中の茶畑。

いかにも静岡県にやって来た感じのする風景だが、この時点での視点を180度振り返るとラブホがあったりします。
途中のシンドラーエレベーター

藤枝から袋井の区間の国道一号は、全てが自転車通行禁止のバイパスでしたが、浜松市にはいると自転車で国道一号はを走る事が出来るようになります。
という事で、浮かれて走っていたのだが、この時すでに夜の8時であり、トラックもかなりの数が走っていました。
しかも、3車線で1車線も広く作られているにもかかわらず、幅寄せしてくるトラックが何台かいた。
頭に来たのでで、思わず
「殺す気かよ、バカヤロー!!」と叫びながら、トラックの荷台にグーパンしてしまいました。
手ぇ痛えな~と思っていると、そのトラックが減速したので、思わず抜かすと、後ろにピッタリくっつかれてクラクションを鳴らされまくり、抜いて行く間際には思いっきり幅寄せして来た。
俺は、「俺を引き殺そうとでも言うのか?出来るわけねーだろ」と思って中指を立てていると、更に幅寄せして来たので、粋がっている余裕も無くなり、「やべえ、殺される…」と本当に死を覚悟した瞬間だった。
最終的には、俺がブレーキ掛けてスピード落としてやり過ごして、トラックはそのまま走り去って行ってしまった。
その走り去って行ったトラックに「戻って降りて来いや!!クソタッレーーーー!!」と再び中指を立てて叫んだが、虚しくも浜松のバイパスを走るほかの車の喧騒に呑み込まれてしまった。
粋がっていたものの、精神的ダメージを受け、かつ疲れたので、ダイドーの自販機の前で小休止しました。
自販機にはドラゴンボールのキャラクターがランダムに出るカンがあったので買って見ると、まるで自分の気持ちを代弁するかのようにこいつがでた。
「クソッタレーーーーー!!」が口癖の某王子(笑)
俺も思わず笑っちまったし、なんとなく元気が出て来た。
冷静になり、ツーリングマップルでバイパス以外の道は無いかと探すと、旧東海道である県道があったので、すぐさまそこにルートを移しました。
その県道は、一部通学路にもなっており、車も地元の人が運転しているので、自転車を抜かす時も結構多め間隔を取ってくれた。
信号の数もバイパスと変わらないし、途中のコンビニもかなりあると言う事で、自転車で浜松を突破する時は、旧東海道を通った方がいいと思う。
しかし、途中で雨が降ってしまい、浜松市内に展開されている、杏林堂という薬局で200円のカッパを買い、三重県に入るまで着続けていました。
そんな雨の中22時ちょっと前に、弁天橋に到着。

こんな時間だったので、うなぎの食べられる店はどこも閉まっていた…
静岡と愛知の境には、地味に上り坂があったが、以外と難なく超えてしまい、愛知県に突入。

とりあえず、今回はここまで。
- 2011/07/18(月) 12:34:35|
- 2011.GW_東海道走行記(横浜→大阪)
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